地域と共に
終戦後、戦災復興に明け暮れている時、巷には家のない、身寄りのないお年寄りがあふれておりました。この状況に憂いを感じた市内の篤志家たちが、お年寄りのために社会的安息の場を提供しようと昭和22年9月、老人憩いの場の建設を計画するための「静岡老人ホーム創設準備委員会」を結成したのが当法人の始まりです。 当時、老人福祉についての一般の関心は低く、なかなか理解が得られませんでした。また、建設資金、建設場所等難航し、静岡老人ホームの建設を実現させるには、幾多の血のにじむような努力が必要でした。昭和23年、事業資金獲得を目指した「静岡老人ホーム創設協賛会」を立ち上げ、約1年半、バザーの開催や自転車預かりを始め、建設資金の確保運動を続けました。 一方、市当局にも働きかけ、国庫補助の途を考え交渉しましたが、民間に対する国庫補助は困難、公的機関ならとの回答に、同準備委員会は市に建設自己負担分は負担(寄付)するため市の施設として作り、経営を委託させてほしいと申請し、了解を得ることが出来ました。 土地についても、大谷、国吉田、高松、美和地区と探しましたが成果なく難渋していたところ、小鹿地区の三菱重工跡地が国有地になったことを知り、この払い下げを強く要望、県、市当局の協力により払い下げを受けることが出来、やっと念願の老人ホーム開設の目処がついたのです。 準備委員会を発展的に解消し、新たに静岡老人ホームの経営母体として昭和24年5月任意団体の「静岡市厚生事業協会」を結成し、老人ホームの運営を始めました。(昭和24年8月4日、定員30名) 昭和25年、社会事業基本法により、社会事業の経営が公的か、法人組織のみに経営が許可されることに決定されたため、同年11月2日「財団法人静岡市厚生事業協会」に組織変更し、次いで昭和27年社会福祉事業法が制定されたため、同年5月17日「社会福祉法人静岡市厚生事業協会」に組織変更して現在に至っています。 その間、老人ホームの入所希望者はあとを絶たないため、また、協会事業の拡充を図るための第2期、第3期計画(5か年計画に変更)を立て、ホーム居室の増設、小鹿地域での保育園設置の要望が高まったことから、自営事業として「小鹿保育園」(定員50名)の開設、老人相談所の開設、共同墓地の購入、有料老人ホーム「鹿山荘」(定員10名)の開設=昭和52年3月事業目的達成により廃止=、集会所としての老人福祉館の建設=昭和55年2月豊田児童館建設のため廃館=、軽費老人ホーム「白寿荘」(定員50名)の開設など行ってきました。 また、当法人のこれらの実績が認められ、静岡市から昭和56年4月静岡市わらしな学園(定員50名)を、平成2年4月静岡市わらしなホーム(定員7名)を、同7年4月静岡市北沼上保育園(定員90名)の運営委託を受けております。また、平成13年4月から新たに静岡市救護所(定員50名)の運営委託を受け業務を始めました。 なお、これとは別に国際児童年記念にちなんで、静岡市が初めて開館した豊田児童館(昭和56年4月)を最初に、平成7年4月までに順次開館した西奈児童館、安東児童館、美和児童館、麻機児童館、美和児童クラブの運営委託を受けていましたが、平成10年4月から事業拡張を図る静岡市社会福祉協議会に全児童館とクラブが運営移管されました。 現在は、ケアハウス白寿荘、静岡老人ホーム、静岡市救護所、わらしな学園、わらしなホーム、わらしなロッジ、相談支援センターわらしな、居宅介護支援センター白寿、ヘルパーステーション白寿、小鹿こども園、北沼上こども園を経営しています。 |
沿革
昭和22年9月 | 静岡老人ホーム創設準備委員会を結成 |
昭和23年5月 | 静岡老人ホーム創設協賛会を資金確保のため結成 |
昭和24年5月 | 静岡老人ホーム創設準備委員会・同協賛会を発展的解消、施設経営母体として任意団体「静岡市厚生事業協会」を設立 |
昭和24年8月 | 静岡老人ホーム(生活保護施設)創設事業開始(定員30名) |
昭和25年11月 | 財団法人静岡市厚生事業協会設立認可 |
昭和27年5月 | 社会福祉法人に協会の組織変更許可 |
昭和27年9月 | 静岡老人ホーム寮舎増築(定員50名) |
昭和28年9月 | 小鹿保育園創設事業開始(定員50名) |
昭和30年4月 | 有料老人ホーム鹿山荘創設事業開始(定員10名) |
昭和31年5月 | 静岡老人ホーム寮舎増築(定員80名) |
昭和31年11月 | 小鹿保育園園舎増築(定員80名) |
昭和33年6月 | 有料老人ホーム鹿山荘寮舎増築(定員16名) |
昭和34年8月 | 有料老人ホーム鹿山荘寮舎増築(定員20名) |
昭和37年4月 | 小鹿保育園園舎増築(定員90名) |
昭和39年1月 | 経費老人ホーム白寿荘創設事業開始(定員50名) |
昭和39年9月 | 老人福祉館(静岡老人ホーム集会所)を設置 |
昭和45年4月 | 小鹿保育園保育室改造(定員120名) |
昭和50年11月 | 静岡老人ホーム市内吉津に新築移転(定員120名) |
昭和51年4月 | 白寿荘で「ひとり暮らし老人食事サービス」の事業開始 |
昭和52年3月 | 有料老人ホーム鹿山荘廃止 |
昭和53年4月 | 元鹿山荘建物を小鹿保育園乳児保育室に改修(定員150名) |
昭和55年2月 | 老人福祉館を児童館建設のため廃止 |
昭和55年9月 | 協会創立30周年記念行事として「静岡老人ホーム発祥の地」の記念碑を建立(同ホーム跡地、現豊田児童公園) |
昭和56年4月 | 静岡市わらしな学園の経営を静岡市より受託(定員50名) |
昭和56年4月 | 静岡市豊田児童館の経営を静岡市より受託 |
昭和59年2月 | 小鹿保育園園舎全面改築 |
昭和59年4月 | 静岡市西奈児童館の経営を静岡市より受託 |
昭和60年4月 | 静岡老人ホームの受託方式変更(市より受託経営) |
昭和63年4月 | 静岡市安東児童館の経営を静岡市より受託 |
平成2年4月 | 静岡市美和児童館の経営を静岡市より受託 |
平成2年4月 | 心身障害者生活寮「静岡市わらしなホーム」の経営を静岡市より受託(定員7名、静岡市わらしな学園内) |
平成2年8月 | 協会創立40周年記念行事として記念式典を開催、記念誌を編纂 |
平成3年4月 | 静岡市わらしな学園に重度棟を増築(定員80名) |
平成6年4月 | 白寿荘宿舎1棟(2部屋)増築 |
平成7年4月 | 静岡市麻機児童館の経営を静岡市より受託(定員90名) |
平成7年4月 | 静岡市北沼上保育園の経営を静岡市より受託(定員90名) |
平成7年10月 | 美和児童クラブ(学童保育所)の経営を静岡市より受託 |
平成8年4月 | 心身障害者生活寮「静岡市わらしなホーム」が知的障害者地域生活援助事業(グループホーム)に指定され、第二種社会福祉事業となる |
平成8年4月 | 静岡市が中核市に指定され、協会、施設監督が県から市に移行 |
平成8年4月 | 重度心身障害者生活訓練ホーム「静岡市わらしなロッジ」の経営を静岡市より受託(定員20名) |
平成9年7月 | 白寿荘をささえる会結成 |
平成10年4月 | 静岡市から委託されていた5児童館及び美和児童クラブの経営は社会福祉法人静岡市社会福祉協議会に移管される |
平成11年4月 | 白寿荘の食事業務が外部委託になる |
平成12年10月 | 静岡老人ホーム全面改築(現在地に) |
平成13年3月 | 白寿荘「ひとり暮らし老人食事サービス」の事業廃止 |
平成13年4月 | 静岡市救護所の経営を静岡市より受託(定員50名) |
平成15年4月 | 北沼上保育園定員数変更(定員100名) |
平成18年4月 | 静岡市から静岡老人ホーム・静岡市救護所・静岡市わらしな学園の指定管理者に指名される |
平成19年2月 | 軽費老人ホーム白寿荘が改築によりケアハウス白寿荘として事業開始(定員50名) |
平成19年4月 | 北沼上保育園が静岡市から財産移管を受け法人の設置経営となる |
平成20年4月 | 静岡市から静岡老人ホーム・静岡市救護所・静岡市わらしな学園の指定管理者に指名される |
平成20年6月~12月 | 福祉サービス第三者評価受審(6施設) |
平成25年4月 | 静岡市から静岡老人ホーム・静岡市救護所・静岡市わらしな学園の指定管理者に指名される |
平成27年4月 | 小鹿保育園・北沼上保育園を幼保連携型認定こども園に移行し、小鹿こども園・北沼上こども園の事業開始 |
平成27年7月 | 相談支援センターわらしな設立指定特定相談支援事業、指定障害児相談支援事業開始 |
平成30年4月 | 静岡市から静岡老人ホーム・静岡市救護所の指定管理者に指名される |
平成30年4月 | わらしな学園・わらしなホーム・わらしなロッジが静岡市から財産移管を受け法人の設置経営となる |
令和3年4月 | 静岡市から静岡老人ホーム・静岡市救護所の指定管理者に指名される(~令和8年3月31日まで) |